吉田郷土館とは

吉田郷土館は、地域文化活動の拠点として活用されることを念願し、 昭和48年12月、鎮守の森の一角に、吉田財産区区有金によって建設されました。 郷土館の建設に当り、神戸市行財政局管財課、同教育委員会文化財課をはじめ神戸市当局やその他多くの方々の御協力に対し、心から御礼を申しあげる次第です。
平成五年度をもって、この会館も大過なく20周年を迎えることができましたのは、ひとえに関係各位の御指導と御鞭撻のたまものと、 深く感謝いたしております。 20年を経過しましたが、この館は今もって皆様に愛され、 地域文化活動の拠点として御利用いただくにふさわしい施設と自負している次第です。
平成三年度には、歴史資料展示室を全面的に改造し、吉田の歴史を広く知っていただくために、 より理解しやすい展示内容になったと思います。 弥生時代には起源をもつ当地の歴史は、その後、戦国時代の枝吉城をめぐる戦乱や、 近くは太平洋戦争による戦災を経ながら、昭和40年の玉津土地区画整理の大事業によって、 枝吉、王塚台、持子、森友、曙の新しい町の創成へと、変革を遂げて参りました。
今後も、地域の発展と相まって、ますます皆様に愛される会館となりますよう、 運営に努力する所存であります。

施設のあゆみ

吉田郷土館は、地域文化活動の拠点として活用されることを念願し、 昭和48年12月、鎮守の森の一角に、吉田財産区区有金によって建設されました。 郷土館の建設に当り、神戸市行財政局管財課、同教育委員会文化財課をはじめ神戸市当局やその他多くの方々の御協力に対し、心から御礼を申しあげる次第です。
平成五年度をもって、この会館も大過なく20周年を迎えることができましたのは、ひとえに関係各位の御指導と御鞭撻のたまものと、 深く感謝いたしております。 20年を経過しましたが、この館は今もって皆様に愛され、 地域文化活動の拠点として御利用いただくにふさわしい施設と自負している次第です。
平成三年度には、歴史資料展示室を全面的に改造し、吉田の歴史を広く知っていただくために、 より理解しやすい展示内容になったと思います。 弥生時代には起源をもつ当地の歴史は、その後、戦国時代の枝吉城をめぐる戦乱や、 近くは太平洋戦争による戦災を経ながら、昭和40年の玉津土地区画整理の大事業によって、 枝吉、王塚台、持子、森友、曙の新しい町の創成へと、変革を遂げて参りました。
今後も、地域の発展と相まって、ますます皆様に愛される会館となりますよう、 運営に努力する所存であります。

施設のあゆみ

展示品について

吉田郷土館1階の「歴史資料展示室」は、1991年に展示を一新し、小・中・高個性から一般の肩まで幅広い見学者に郷土の歴史を理解してもらえるよう、実物資料のほかに模型やイラストを多く使用しております。
また、展示室のいりぐりにあたる郷土館玄関の正面には、テレビ3台をセットしたマルチ映像による「明石川流域のあけぼの」が常時上映できます。

主な展示品

  • 映像ビジョン(明石平野のあけぼの)
  • 稲作のはじまり
  • 明石平野の弥生時代の遺跡分布
  • 弥生時代の生活
  • 吉田・片山遺跡出土器(木ノ葉状文土器破片)展示 10点
  • 稲作の来た道
  • 稲穂(写真)弥生式土器展示(新方. 片山. 養田)20点
  • 養田遺跡出土器展示 5点
  • 邪馬台国の時代
  • 邪馬台国時代の村あと 池上口ノ上遺跡
  • 巨大古墳の時代へ
  • 五色塚古墳. 王塚古墳
  • 古墳時代竪穴住居内
  • 古墳時代竪穴住居
  • 高丘古窯址出土器展示
  • 須恵器を焼く高丘登り釜
  • 明石郡衙と古代の役所
  • 明石郡衙
  • 映発掘された郡衙の跡
  • 播磨吉田遺跡の遠影
  • 戦国の枝吉城
  • 戦国末期(16世紀中頃)の枝吉城
  • 枝吉合戦1539(天文8)年の布陣
  • 土器展示 吉田南遺跡 28点
  • 土器展示 養田遺跡 16点
  • 土器展示 西神ニュータウン内古墳 27点
  • 土器展示 吉田. 片山遺跡 21点
  • 土器展示 新方遺跡 45点
  • 土器展示 新方遺跡 23点
  • 土器展示 養田遺跡 34点

土器展示数 234数

  • 展示品について
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